リレーエッセイNo.20 「健康とアートについて考える 村山拓先生」
日本子ども健康科学会事務局でございます。平素より当学会にご高配を賜りありがとうございます。
リレーエッセイ第20回目は、東京学芸大学 特別支援科学講座 准教授 村山 拓先生です。
健康とアートについて考える
先日、ある研究会に参加しました。障害のある人、ない人が一緒に即興劇を作る活動や、そこから参加者の興味や参加の機会が広がっていく様子を聞くことができました。(広い意味での)アート活動は、人同士をつなげる媒介として強みを発揮することがあります。それは、得意・不得意を超える価値があること、それぞれの参加者のよさが発揮されること、そしてそれを好意的に(あるいは、あるがままに)とらえることのできる人たちによって活動が支えられていることによるのかもしれません。即興劇であれば、その場での変化を楽しむことが重視されるので、そのとき、その場の変化(例えば直前のセリフ)に応じて自分の振る舞いを変えることも求められます。それらの活動がいわゆる職業アーティストだけの手(演劇の場合は、身体と言葉でしょうか)によるものではなくても、誰にでも楽しめるものであることは重要です。
健康とアートとの関係を考えてみます。パソグラフィ(病跡学)の研究では、天才などと評されるアーティストが病気や障害などの困難を抱えていたから(こそ)、すばらしい作品が作られたのだと考え、その特質を描こうとします。例えばベートーヴェンやスメタナの難聴など含まれるでしょう。病気や障害が、その人の創作活動を偉大なものにしたと考えます。それとは逆にサルトグラフィ(健康生成学)では、仮に何らかの病気や健康面の課題を抱えていたとしても、そのアーティストの健康な面によって、創作活動が生み出されたと考えるそうです。そのアイディアは、アート活動をする人が、職業的なアーティストかどうかに関わらず応用することができるのではないかと考えました。どんな人でも多かれ少なかれ、何かしらの制約を抱えて生きています。その中で、その人が時に見せる健康的な一面が、その時に強みを発揮してくれることがあります。それを広げて考えると、その人の健康的な面は、その人の生活のさまざまな活動を後押ししてくれるといえそうです。そして、アートの活動そのものが、その健康な面を引き出してくれる面があるとも考えられます。活動の内容だけでなく、その活動に浸る時間、空間、人間関係など、さまざまな要素から、人それぞれが健康になるための要素を取り入れているのかもしれません。そしてそれは無意識かもしれません。ユクスキュルUexküll, J.、1864-1944)のいう「環世界(Umwelt)」ということばが浮かびました。世界は一律一様にあらわれるのではなく、それぞれの生物によってそれぞれの仕方で知覚されるというものです。ある動物にとっては、とても重要な環境からの刺激・情報が、別の動物にとっては意味をなさない、といったことが挙げられます。それを応用すると、アート活動の面白さは、一様ではないところにあるのかもしれません。同じ活動、同じ作品であっても、情動を揺さぶられるポイントが違うことを思い起こさせます。
子どもの健康を支えようとするときに、その基盤には、学問的に裏付けられたセオリーやエビデンスがあります。それに加えて、(広義の)支援者は即興的判断を求められることがあります。それは車の両輪と呼べるほどきれいに連動するものではないかもしれません。それでも、子どもの健康は、その両方から引き出されるように思えるのです。冒頭に触れた活動では、そのきっかけは即興劇だったかもしれません。それでも、それは即興劇に参加できる前提(例えば移動の保障、安定した生活基盤など)があってのことです。そのように考えると、「健康」は多面的、多層的にとらえる必要があることを改めて確認できます。すべての子どもたちが、一人ひとりの健康を促進する(あるいは取り戻す)きっかけに出会えることを祈りつつ、子どもたちの「健康」のあらわれ方、捉えられ方、引き出され方を引き続き、問い続けていきたいと考えています。
東京学芸大学 特別支援科学講座 准教授 村山 拓