リレーエッセイNo.18 「人類学的視点から病気や障害を考えること 郷間英世先生」
日本子ども健康科学会事務局でございます。平素より当学会にご高配を賜りありがとうございます。
リレーエッセイ第18回目は、姫路大学学長 郷間 英世先生です。
人類学的視点から病気や障害を考えること
数年前から、病気や障害について人類学的視点から考えることが多くなった。
医療人類学者のアーサー・クラインマン(1988)は、その著「病いの語り」の中で、「病い(illness)」の問題を「疾患(disease)」と区別して述べている。「疾患」は治療者の観点からみたヒトの生物学的な構造や機能の変化であるのに対し、「病い」は「患い」の体験であり生活と深く結びついている。そして「病い」の体験について、それぞれの「個人的経験(individual experiences)」、特定の疾患の人々が共通に体験するような「集合的経験(collective experiences)」、および、ハンセン病はうつるというような誤った社会的偏見の下での苦悩(サファリングsuffering)を伴う「文化的表象(cultural representations)」により構成されているとする。そして、個人的経験としての語りは、集合的経験や文化的表象との相互作用により形作られており、それらを反映したものとなっているのである、と。
「障害」は上の「病い」と同じようにとらえることができる。医療や教育・福祉の専門家は、「障害」を脳の損傷や諸機能の低下によりもたらされた状態像と考え、これを回復させること、または回復できなくても支援により生活の幅を拡げ社会参加を豊かにすることを目標にする。しかし、「障害」を持つ人とその家族は「病い」をもつ人の「患い」の体験と同じように、「障害のための困難」に加え「社会的偏見」のもとでの生活がある。
筆者は現在、障害者とその家族からナラティブの手法でライフストーリーを聴き記録している。語りには「急に食べなくなり、原因がわからず体重が10㎏減少して心配した」「自傷を防ぐために腕を抑制していたら虐待と間違われ通報された」などの苦労や辛い体験とともに「クラスメイトにかわいがられ一緒に遊ぶなかでサッカーが上達した」「子どもと一緒にアイドルの追っかけを楽しんでいる」など嬉しい体験も語られた。しかしながら「部活の先輩からいじめにあったが、学校に十分対応してもらえなかった」「母親が仕事に復帰することを希望すると、福祉の職員から子どもを施設に入れるように言われた」など、人々の「障害観」や「偏見」のもとでの理解不足や苦しみも多く語られていた(郷間 2022, 2023, 2024) 。また一方で「この子が生まれてから偏見がなくなった。親自身わがままだったが、そうでない自分になれた」「子の障害を知って世界が変わったというか、いろんなことを見る目が変わった」など、親自身のポジティブな変容も語られた。
文化人類学者の浮ケ谷(2015)は、苦悩に向き合うことで、対処する術が編み出されアイデンティの組み直しがなされることを「サファリングの創造性」と位置付けている。筆者が聴取した家族の変容はこの創造性と思われ、障害者とその家族は現実世界の中の苦悩を享受しながら、自身も変容しながら生きることに希望を見出しているようであった。
ここで述べた考え方は、医療の世界ではまだ一般的ではないかもしれない。しかし、当事者中心の医療や教育・福祉、およびインクルーシブな社会の実現のためには必ず必要なことではないかと考えている。
文献
Arthur Kleinman(1988)The Illness Narratives Suffering Healing and the Human Conditions, New Yok, USA [江口重幸・五木田紳・上野豪志訳(1996)「病いの語り‐慢性の病いをめぐる臨床人類学」、誠信書房]
郷間英世(2022, 2023, 2024):障害者と家族のライフヒストリー(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)京都国際社会福センター紀要「発達・療育研究」Vol.38 PP.35-54, Vol.39 PP.29-61, Vol.40 PP.43-72
浮ケ谷幸代(2015):苦悩とケアの人類学-サファリングは創造性の源泉になりうるか-、浮ケ谷幸代編、世界思想社
姫路大学学長 郷間 英世(小児科医)